Q&A・・・Part❶ 仏陀の剃髪

だいちゃんからの質問
ーお坊さんの頭はどうしてツルツルに剃っているの?ー

これにはまず第一に、「“ヘビ”がいつか地球にやって来る時のため、彼らの痕跡を残しておく」という意味があるということを言っておきましょう。事のいきさつを簡単にいいますと、エロヒム“ヘビ”たちについてはご存知のとおりです。

彼らには、将来地球にやって来るという大きな目的があるということを前に言いましたね。そこで彼らは、彼らのメッセージを地球人に渡すために、ひとりの人間を地球に送る計画をたてるわけです。そして、人間の女性と彼らのひとりとの間に子供をもうけることにし、すべての事はうまく運びます。

butuzouそれから、しばらくして子供が大人になった時に、エロヒムは彼らの惑星に連れて行きます。

そして彼がどのような素性であるかを教え、四十九日の間メッセンジャーとしての科学的教育をほどこし、 いくつかのメッセージを授けるわけですが、もちろんこの惑星間ハーフともいうべき子供とは仏陀のことですよ。

そしてこのエロヒムからのメッセージについては「仏陀の教え」といわれるもの、たとえば無常・無我あるいは空・縁起といった仏教哲学や瞑想教育などにその痕跡がみられるのですが、これらについては長くなるのでまた別の機会にしましょう。

エロヒムの計画といいましたが、彼らに選ばれたラッキーな女性というのは、仏陀の伝記にあるようにマーヤというひとで、彼女はナーガ・蛇をトーテム(特定の生き物を彼らの始祖として信仰する)にしているコーリア種族の出身です。

仏陀は蛇の出自だということは、仏陀フリークならよく知っていることです。ですからここで、「仏陀が蛇の出自であるといわれる所以は、産みの母マーヤが昔ながらの蛇を祀りあがめる種族の出身であるからだ」となるのが、まぁ一般的な考えではないかと思います。

母親が蛇族だからその子供は蛇だといわれれば、たしかにその半分は当たっているんです。しかし、あとの半分これが大切なんですが、つまり仏陀の父親が問題になるわけです。

我々の知る仏陀の父親は現在の北インドにあった小国の領主スッドーダナという人物になっていますが、これは仏伝(仏陀の伝記)中のいわば育ての親であって、実は本当の親が別にいたというわけなのです。

最初に仏陀は惑星間ハーフといいましたが、この本当の“父親”というのがそもそも人類にメッセージを渡す計画を実行したエロヒムのメンバーで “ヘビ”とよばれていたのです。

もう少しこの“ヘビ”について言うと、エロヒムのなかの科学者のグループがあって、その彼らが爬虫類の蛇からとったニックネームが“ヘビ”だということ、つまり蛇が“ヘビ”たちのシンボルということですね。

ですから、仏陀の母親マーヤは蛇族の出身ですし、実の父親も蛇からとった“ヘビ”というニックネームをもつエロヒムということですから、これはもぅ仏陀は正真正銘ヘビのなかのヘビ、“生粋のヘビ”ということになります(写真はムチャリンダ龍王に守られる仏陀)。

古い仏典のなかに、弟子が仏陀を讃えるこのような詩文が載ってます。「仏陀よ、あなたはナーガ(蛇)の名をもち・・・・あなたは弟子たちに真理の雨をふらすのです」(『長老の詩』1240)。

「両足をもつ者の最上者よ。この神のなかの神をわたくしは礼拝します。わたくしはあなたの子として生まれ、大勇者にしてナーガの正系なるナーガを礼拝します」(『長老の詩』1279)。

これだけではなく、とりわけ古い経典『スッタニパータ』には、仏陀はみんなからナーガとよばれている記事が載っています。<注;ナーガnaga,インドでは古くから「蛇」のことをこのようにいいます。一般的にはコブラのことを指すのですが、「龍」もまたナーガといいます>。

0-hebiナーガという名称は完成された修行者に対して用いられたというのが通例になっているのですが、仏陀がこの尊称で呼ばれたというのには、実は人知れぬ深いわけがあったということですね。

仏陀はまさにナーガとして生まれ、ナーガに保護されつつナーガとして生きたのでした。それを見習って彼の多くの弟子たちは、彼をナーガと讃え、彼を地上に遣わせた神のなかの神、偉大なるナーガ“ヘビ”を礼拝し、心から彼に帰依したのです。

これはひとつの儀式としてその証拠を明らかにすることから始まります。この風習は現在でも仏教徒になるために剃髪するということで知られています。そうそう、前置きが少しながくなりましたけど、質問の「お坊さんの頭はどうしてツルツルに剃っているの?」の答えはこういうことなのです。

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つまり最初にいったように、いつか地球にやって来る時のため「“ヘビ”の痕跡」を残すという意味がここにあったというわけです。「風習がいまでも残っている」といいましたが、仏陀は生涯、髪を短くしていたし弟子たちもまたそのようにしていたのです。

それは髪を短くすること(剃髪すること)によって、“ヘビ”に帰依し、はじめて自分も仏陀と同じ“ヘビ”の子供であることを認められるわけです。現在では元々の意味はすっかり忘れてしまっていますが、

とくに禅宗や昔ながらの伝統が残る東南アジアなどの上座部仏教のお坊さんは頭をきれいに剃って中にはまゆ毛まで剃っていて、ツルっとした毛のない顔というものはまるで“蛇”そっくりでしょう。

bousanまぁ仏陀としては“ヘビ”のメッセージを地球に届けるためのメッセンジャーですから、もちろん仏陀は身も心も“ヘビ”だと自他ともに認めているわけで、いわば彼自身“ヘビ”の広告塔のような役割にもなっていたということですね。

それにしても、最初期の仏教徒たちは仏陀と“ヘビ”との関係を、仏陀自身からどの程度聞いていたのでしょうか。あるいは他の惑星に住み超科学文明をもつ彼らを、二千五百年も前に生きていた人々はどのくらい理解できたものでしょうか。

たとえば“ヘビ”とは我々と同じ生身の身体をもった人間としてではなく、想像上の龍神・蛇神みたいなものだと誤解していた向きもあったのではないでしょうか?しかし、そんな事を思ってはみても、これは私の勝手な想像にすがるしかないのですが・・。

まぁしかし、おそらく弟子の中にもいろいろな人たちがいて、彼らはそれぞれに仏陀を通して“ヘビ”たちをイメージしていたでしょう。たしかに古い詩文にあるように“ヘビ”を我々と同じ人間ではなく神として崇拝しているところも見受けられるわけで、

仏陀がまだ生きていたころの弟子のなかに、ある意味“龍神・蛇信仰”のにおいをつよく感じるわけです。というわけで私は、お坊さんのあのツルツルした頭を見るたびに、まだ見ぬ敬愛すべき“ヘビ”とともにあのクネクネとした蛇も一緒に思いだすといったあんばいです。

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sinboruまた仏陀と“ヘビ”との関係からいうと、この卍(まんじ・スワスティカ)。じつに印象的で美しい形です。これは仏教のシンボルになっていて、日本では地図のなかで仏教寺院の所在を示す記号としても使われていますね。

卍の歴史は「地球上のシンボルのなかで最も古く時間の無限性をあらわす」象徴としてよく知られていますが、ほんらい卍は“ヘビ”たちのシンボルですからそれは納得できるところです。

ちなみに二つ巴・三つ巴や∞のマークなんかも無限をあらわすのに使われていますが、これなどは卍の形からデフォルメされたものだということが割と簡単にイメージできるでしょう。しかし、この「卍は爬虫類の蛇の交尾の型をしている」というのは意外と知られていないんです。

つまり、少しだけ想像をたくましくしていただければお解かりになるかとおもいますが、卍の形は蛇の交尾の最初の型・パターンでして、それが時間とともに変化していきます。

時間がたつにつれ愛が深まっていくにつれ、 卍の形はしだいに二匹の蛇がグルグル巻きにからまった様相を呈してくるわけです。 まぁ、あの手も足もない長い蛇のことですから、‘一見シメ縄ふう(人によってはDNAのラセンふう)以外の体位は考えられないだろう’と言われる向きもあるでしょうが。

dnaこの“聖なる”造形からまず連想するのは、なじみがあるところでやはり神社の正面に飾ってあるシメ縄ではないでしょうか。

「神社も元々は蛇を祀る蛇信仰の神聖な場所だった・・・」と、‘蛇とシメ縄との関係’についての第一人者、吉野裕子博士は述べていますが、博士によるとやはり「神社のシメ縄は二匹の蛇の交尾がモチーフ」になっているということです。

ちなみに蛇が交尾している時間はきわめて長く、からまったまま丸一日に及ぶこともあるそうで、そんなことからも「卍が無限の時間のシンボル」になってしまったのかどうかは定かではありませんが・・。

simenawasyouお坊さんの頭から始まって、蛇つながりで神社のシメ縄まで話がひろがってしまいましたが、すこしは質問の答えになっていたでしょうか。

このほかにも,“ヘビ”の痕跡は有形・無形にとあらゆる分野にわたってあるんですが、これはまた別の機会にしましょう。

(アーカイブ・・2014年2月、3月の“ヘビ”もご覧ください。)