色即是空的こころ・・❸

・・“ごう慢”な心もようの時というのは、慈悲(愛)のエネルギーとは反対の方向、つまり自分の方にだけ引っ張りこむエネルギー(貪欲=エゴ)を使うでしょ。ですから、どうしても他人に対して優しさとか尊敬といった配慮が無くなるものなんですね。

とにかく“ごう慢さ”が出てしまうと、自分の思うようにしたいわけだからね。思うようにならないと感情的になって“嫌”といった感情の反応が無意識に起こるでしょ。

つまり、ごう慢=貪欲(欲望)が満たされない→ 嫌悪→怒り→暴力。こういったような「怒りのプログラム」を無意識のうちに使ってしまうのね。

暴力にまでいかなくても、この「怒りのプログラム」が日常の似たような場面で何回も繰りかえされるから、ごう慢さ(貪・欲)と怒り(瞋=悪感情)の結びつきが強化される・・。

条件反射的に反応する“反応グセ”の悪循環・・。そこで、ごう慢さを無くそうと思うならば、心を動かすエネルギーの方向変換をする必要があるわけですよ。つまり、「慈悲のエネルギー」を意識して、うまく使っていきましょうということになる・・。

慈悲(愛)と意識との連携というのはとても面白くて、慈悲のエネルギーを使うという意識があるでしょ。まぁ意識をすると、今度は慈悲のエネルギーが出てくるものなんですね。

この両者の興味深い関係・・こういったエネルギーを意識的に使うと、先の「嫌悪→怒り→暴力」といった悪循環に陥る前の最初の「嫌悪」といった反応の処でストップが効きますしね。

たとえ嫌悪といった反応が起きても、怒りの処でストップが効くようになるわけです。まぁ、善くない反応が減ってくるとシメタもので、そうやって 慈悲のエネルギーが増えてくると、そもそも対象に対して嫌悪すら無くなりますしね。

そうなると、「無意識的な反応」といった行為ではなくて、ちゃんとした「意識的な行動」といった行為ができるようになる・・。

・・そういった「意識」や「慈悲のエネルギー」の上手な使い方というのも、昔“ヘビ”が仏陀や修行者に教えたんだと思いますよ。仏教の修行法や他の瞑想の体系のなかにそれが残っていて、とても興味深いものもあるわけです。

そして、我々もこの“意識的な行動”をするために、その“ヘビ”が教えたであろうノウハウを実際にやってみようと思えば、別に瞑想といった特別な時間をとらなくても、日常の生活の色んな場面で出来ないこともないと思うんですね。

例えば、誰でも最初は「意識をつかう」といったことすら実感できないわけですからね。そこでまず、『“意識”って何?・・そしてそれを実感?・・』といった処から始めるんじゃないかと思うんですね。

・・まぁ、瞑想といった決まった型のなかで実感するのも良いんですけれど、様々な問題は我々の普段の生活の場面で起こるわけですからね。そして、そのなかで我々の身体と心を使ってそれに即応して対処していかなきゃならないわけでしょ。

ですから、できるだけ日常のなかで、その場に応じた「意識の実践」といったやり方で覚えていくと「意識といった道具の使い方」も自然に身に付いていくのではないかと思うわけです。例えば、台所で皿やコップを洗うでしょ。

そういったことも、意識”してできますからね。別に難しいわけではなくて、自分でやることをひとつひとつ「言葉(口に出さなくて頭の中で言語化する)で確認」していけばいいんですね。

例えば、『スポンジを(手で)取る・・洗剤をつける・・蛇口をひねる・・コップをつかむ・・洗う。・・皿をつかんで洗う・・蛇口を閉めて・・洗うのを止める・・』といった具合にね。

部屋を掃除する時も、『・・掃除機を出す・・コードを引っ張る・・コンセントに差す・・(前後左右に動かしながら)押す・・引く・・右に回す・・掃除を終わる。・・コンセントを抜く・・コードを巻く・・掃除機をしまう・・』 。

こういったアンバイで、 最初は日常のすべての場面でやらなくてもね。今日はお風呂を入るとき「意識」して入ろうとかね。出かける時に靴を履くでしょ。

そこで『右足を入れる・・靴べらを差す・・履く。・・左足を入れる・・靴べらを差す・・靴を履く・・靴べらを置く・・ドアを開ける・・閉める・・鍵をかける・・』って具合に・・。

・・自分のやってることを、ひとつひとつ意識的に、頭の中でただ言語化するだけでいいわけです。それでも、すこしコツがあって、ひとつの動作をゆっくりやることですね。

ゆっくりやることで“いま”自分がしていることをよく“実感”することができるでしょ。物事をやり過ごさないということ。そして、その瞬間に五感を使って、よく感じるということ・・。

それも、官能的にのめり込んで感じるというよりも、ただ客観的にクールに感じるということ・・。蛇口から出る水・・ドアのノブの冷たさ・・鍵をかけた音・・etc・・。

それと、意識の訓練だと言っても、別に堅苦しくやらなくてもいいわけで、例えば古館アナのスポーツ実況中継風に(ちょっと古いか、笑・・)自分でアレンジしてやったりするのも面白いんですね。

『・・おうっと、純白のアディダスのスニーカーに右足が入りました!・・』といったアンバイでね・・まぁこういったように、楽しみながらやるってことがベストで、「意識する」ということはどういったことなのかも、よく実感できるだろうしね。

意識だけがつかむことができる “いま”という実感もよくつかめるでしょ。そして、『官能瞑想』でいう処の『脳ミソの洗濯』での 「自分のいままでやってきた習慣的な行為を見直す」といったこともやってるわけだからね、一石三鳥・・。

これは即効性があって、まぁ一週間くらいやると相当「意識の筋肉」も付いてくるのが解りますからね・・。

つづく