色即是空的こころ・・⓫

・・瞑想のシステムのなかで一番のポイントは、やはり「慈悲=愛」ではないでしょうかね。すべてにわたって慈悲のエネルギーを使うようになっていますし、慈悲のエネルギーが出てくるような、そんな構成になっているわけですから・・。

なぜならご案内のように、エロヒムは人間には何が足りないのか、何が必要なのかをよく知っているからだと思いますよ。

それは『四諦八正道』にしろ『官能瞑想』にしろ、時代は変わっても基本は同じだと思うわけです。そこで大切になることは、空・無限を学んで、それをよく理解し、それを瞑想の中で実感するということです・・。

実際、我々は慈悲のエネルギーにはあまり縁がないんですね。日常ではエゴを満たす利己的なエネルギーばかり使っていますからね。エゴ的な考え、エゴ的な反応による快楽しか知らないわけです。

ですから、まずは今までのエゴ的な考え方や価値観といった処からすこし離れさせなくてはいけないわけですよ。そこで、“エゴ=わたし・我”から一番遠く離れた処にある“無限”の哲学・考え方を学ぶわけです。そこには無限の広がりを持った世界観・価値観がありますし、切れ目のない宇宙観があるわけです・・。

そのために仏教でも瞑想によって、無常あるいは無我を実感させる。これらは無限のシッポみたいなモノであり“空”とも呼ばれるわけで、三輪空寂などの「空の実践」は一番の徳目でもあります。同じようにラエリズムの「官能瞑想」では、無限を意識する技法が満載ですからね。

すべてのステージで、始めから終りまで無限を意識し、無限を実感するシステムになっているわけです。自分(わたし)は生死を超え無限とつながっていて、自分(わたし)は「無限の一部=チリ」であるということ・・。

同じように、他の人も同じように「無限の一部=チリ」であって、自分と同じであること。そして自分と他の人々は人類といった体を作っている一個一個の細胞であり、これもまた互いにつながっているわけです・・。

こういった無限に向かった意識と実感を「官能瞑想」のなかで体験していくわけです。こういったように、ホントの自分=「わたし」というのは孤立した「エゴ=わたし・我」ではなくて、『無限』とつながっている「無限の一部=チリ=わたし」だということを意識し実感する・・。

まぁですから、無限を理解し実感するには「官能瞑想」が一番よろしいのではないかと思いますね。エゴから離れると、ヒトは自然に慈悲のエネルギーが出てくる・・。慈悲のエネルギーが出てくると、自ずとそれが自分以外の生命を慈しむ心にもなって、同情心も出てくるわけですからね。

仏教にはこういった方程式があるでしょ・・「エゴ・我が引っこむと、その分だけ慈悲が出てくる」・・。

慈悲のパワーが付いてくとシメたもので、例えば誰かに足を踏まれたとしても、落ち着いた行動が出来るんですね。例えば「足を踏まれる→痛み→怒る・・」こういった一連の「怒りのプログラム」の“矢印→”のスキマの部分に、その慈悲のエネルギーが入り込むんですね。

そこで「痛み・・」を受け入れる心の余裕もできる。さらに、「痛み・・」といった感覚もよく観察できる。つまり、『あっ、痛いなぁ・・もぉ!』というんではなくて、『痛み!』とその現実を冷静に受け止められるようになる。

そうなると、あまり自我感=エゴを主張することも無く、自分を踏んだヒトも踏んだという事実も受け入れる、許すといった心もようになっているわけだからね。そもそも"怒り”といった感情が出てきづらくなる・・。いわゆる、怒りそのものが落ちる・・そんなモノなんですね。

・・仏教では"怒り”は自分の思うようにしたいといった欲望=貪欲があるからだというわけです。そして、なぜこの貪欲さを出すのかいうと"わたし”という概念があるから・・自我感があるから・・ということなんですね。

我々は「生きるため」にはそういった自我意識を強く出す。そして生きるためには、外に在るモノを自分のほうに引っ張りこむエネルギーが必要になるわけだからね。

無意識に本能的に、エネルギーを「“わたし”の方に引っ張り込むエネルギー」として使うという事になる。そういった基本的な“生きる”エネルギーを仮に『エゴエネルギー』ということにすると、

逆に自分の方に引っ張るよりも外の方に出していく、自分から他に与えていくエネルギーを『慈悲・愛のエネルギー』と云ったわけです。

御案内のように同じエネルギーだとしても、これをエゴ・エネ(略して)として、我々は日常で四六時中あたりまえのように使っているわけですからね。

エゴ・エネは本能的に条件反射的に、黙っていても出てくるわけですが、慈悲エネとしては中々出てこないんですね。まぁそれゆえに、瞑想したり訓練したりして、意識的に少し踏ん張ってでも、コレを出していかなきゃならないモノだということ。

慈悲エネが哲学・意識を支えていく大切なエネルギーなわけですから・・。そういったエネルギーを作って・貯めて・出していく・・ということに力を入れていきましょう・・ということなわけですね。