色即是空的こころ・・観照・・❶

・・まぁ、日常で「八正道」を実践していくうちに『観照の作法』も段々と身に付いてくるんですね。そうなると、カメラワークも意識的に引いてズームアウトにしたり(客観的に観る)アップにしたりして、その状況を楽しめるようになるわけです。

ですから、モノの観方によって随分とその場面の印象が違うものだということになってくるわけです。また、モノの観方が変わりますと価値観・趣味嗜好といった処にも影響を及ぼしますから、今までとはまた違った楽しみ方ができることにもなるんですね。

これもひとつの“観照”的エンターティメントの面白い処ではないでしょうか。・・例えば、ご案内の八正道でまず『空の知恵』を学ぶわけです。それから次に意識の使い方と慈悲の実践、この三つ巴によって段々と「観照の作法」が身に付いていくといったアンバイなんですね。

そこで『空の知恵』には無常と無我があります。仏教では「諸行無常」・「諸法無我」というわけです。この意味は、「諸行無常=宇宙のすべては変化する」、「諸法無我=“わたし”というのは概念で実体は無い」ということ。

ラエリズム的に云うと「すべては無限の一部=チリでできている」ということですね。まぁ、他に空・無限から導いてきた知恵にはご案内のように自由・平等とか無所有・無分別・ポジティブシンク・三輪空寂・・etc・・などといったものもそうですね。

そして、この無常と無我をよく理解ることによってあらゆる「苦」が無くなるということで、仏教では「無常・無我・苦」を三法印と言って、これが仏教のキャッチフレーズになっているくらいなんですね。

まぁ、そういったわけで無常=変化を理解することが知恵につながるわけですからね、「変わるのが嫌だ・・変化は怖い・・」といった話ではないということです。

まずは無常=変化を理解し、これをしっかり受け入れることで、はじめてこれが知恵として機能し「苦の消滅」に役立つわけですからね。それゆえ、これは人間には逆らえない絶対的な法則であって、嫌でもこの法則に従わなくてはいけないものだと、仏教ではそういった事になっているんですね。

しかし、我々は嫌がらずにこの「変化の法則」に従っているでしょうか?確かに「頭では解っているんです・・」とは言うんですが、現実には自分に都合の悪い事や嫌なモノに対しては『はやく変わってほしい・・』と当たり前に思いますしね。

逆に自分の好みに合うモノなんかには『ずうっと変わらずに、永遠にこのままであってほしい・・』といったように虫のイイことを願うモノなんですよ。

『年はとりたくない・・いつまでも若く健康でいたい・・死にたくない・・etc・・』といって、健康器具や健康食品を山のように買ってきたりするんですね。エステに通いつめて、化粧品で固めただけでは飽き足らず、ついには美容整形まで行ってしわを伸ばしたりしてくるわけです。

まぁそういったアンバイで、「無常(変化)」に抵抗して色々とやるわけです。結果、自分の思うようにならなくて、無常ならぬ「あ~、無情。。。」になってしまってガックリと落ち込んだりもするわけです。

まぁこういったように『変わらないでくれ・・』といったアンバイに無茶な願望や価値観が強く出ると、「観照の作法」なんかは忘れてしまって、その時の感情や欲望のおもむくままカメラをズームアップしてしまうことになるわけです。

変化と云う永遠に切れ目のない物語のなかの、ごく小さな一場面に執着してしまうんですね。強い執着が「変化」といった大きな流れを止めようとする。しかし、これだけは自分の思うようにはいかないわけですからね、

まぁこのような強い執着によって、あらゆる『苦』が生じると仏教で云うのもよくお解かりになるのではないでしょうか。しかしそこで、自分自身が“変化そのもの”なんだと「無限の一部=チリ」なんだと気づくと、カメラの目線が少し動くわけです。

変わることは自然なことで、これは止められないものだと心から納得するのであれば、自分の「変化」もまたコロッとまた違ったモノになるんですね。観方を変えて、引いてズームアウトして観てみましょうということですよ。

まぁ考え方が変わり、その場面に対する執着を離れると、面白いことにまた再び自然のままに変化する場面に戻っていく。そうなると、あれだけ嫌がっていた変化の現象も、今度は興味深いモノに観えたりするんですね。

考え方・観方が変わると好みも変わるもので・・価値観や美意識にまで微妙に影響を与えてくるんですよ。“変化への興味”と云えば、例えば「侘び寂び・わびさび」なんかはそうじゃないですか?

日本古来の「侘び寂び」の文化なんかはこういった「変化」を大いに受け入れた独特な情緒を持っているでしょ。・・手を加えて完成させたモノよりも自然に崩れ静かに壊れゆくモノにスポットをあてる・・

・・外側よりも内側から滲(にじ)み出てくるモノ・・時の流れによって磨かれる美しさ・・新しさや華やかさよりも枯れて寂びれた感じ・・“はかなさ・わびしさ”を愛(め)でる快楽・・

・・こういったモノに“美”を見出す独特の情緒を持った世界観ですよね。こんな処に親しみや愛おしさを感じるというのは欧米の感性には中々みつからない、古き善き日本の美意識だと思いますよ。

別な言い方をすると、あらゆるモノ事を「ありのまま」に受け入れ、許し、理解する・・慈悲のエネルギーによって色づけされた精神的な“美”への共感・・といった処ではないでしょうかね。

こういった“美”への共感にしても、そもそもは変化を受け入れそれを理解するといった「知恵」の光が醸し出されたモノでもあり、無限と調和された風景として観照されるモノではないでしょうかね。

決してズームアップして、自分だけの片寄った欲望や狭い価値観でもって、重箱の隅をつつくようにして見た景色ではないわけです。

・・まぁ、そのように思って鏡に写る自分の顔にできたシミやしわでも眺めて、『ありのままか・・』と・・これも味わいのある景色として楽しめるのであるなら、またこれも善き「観照」になるのではないでしょうか・・。

ここで一句

侘び寂びで スポットあたる 顔のしわ