又々『無の瞑想』のお話

・・自分を客観的に観るとなぜ“おもしろい”のかといいますと、それは“他人ごと”だからだと思いますよ。あたかも自分自身を、他人が見ているように観るからではないでしょうかね。

じつはこの「“他人ごと”のように・・」というのが、どうも『無の瞑想』の“コツ”のようなんですね。

こういったいかにも無責任な、消極的な、受け身的な、無感情な・・『・・すべて放っておけ!・・』といったような態度がコツというのも可笑しな話なんですが、“無になる”といった非日常な状態をつくるためには、こういったひとつの「観照の作法」が大切だということなんですね。

・・つまり他人様が見ている(客観視)わけですから、そこでは“わたし”が見るといった主観が、『俺が・・私が・・』といった自我感が希薄になるんですね。

我々は日常では『俺が・・私が・・』といって自我・エゴのエネルギーばかりを使って生活しているでしょ。そしてそのエゴには必ず欲望と感情がくっ付いていますから、作法としてはNGなんですね。

ですから、主観はいらない・・積極性・能動性・願望・感情といったモノもいらない・・“無になる”ために、これらは一切使わないようにしましょうということです。

そういったわけで自分の感情も入れず、欲望・願望も無しに観るということが『他人ごとですよ・・』といったアンバイになるのではないでしょうかね。

まぁ客観的に観るといっても“観る”は、まだ積極的・能動的な感があるというのであるならば、“観る”ではなく“観える”といったくらい究極の受け身スタイルで・・ということになりますね。

仏教では元々「無我(わたしは無い)」といった教えがありますからね。物事を他人ごととして観るのはお手のものなんですが、この「無我」を理解するのは特に難しいんですね。

ご案内の『ヒトはみなチリからできている・・チリから来てまたチリにかえる・・』を理解するのと同じくらい難しいと思いますよ。何しろ“わたし”は無いですから。

“わたし”というモノは始めから無い、あると思っているのはそれは妄想的固定観念にすぎないというわけです。こういった仏教特有の観方は、フツーではなかなか理解できないんですね。

例えばハプニングが起きたら・・『・・他人ごとじゃ済まないですよ!・・だって、この“わたし”が苦しいんですから・・』といったアンバイでしょ・・『おもしろいなぁ・・』とはなかなか観れないんですね。

仕事から帰って来てみたら自分の家が燃えて無くなっていた、その状態を客観的にみて『あっそう、焼けた・・無になりましたか・・おもしろいなぁ・・』と落ち着いて言えないのと同じようにですね・・。

・・「物事は自分の思うようにならない」ことを、これを仏教では「苦・ドゥッカ(パーリ語)」というわけです。「思うようにしたい」というのは「“わたし”が思うようにしたい」わけですからね。

つまりそういった“わたし”の考えや価値観=主観で観て、わたしの思い通りにならないので“わたし”=“苦”です、ということなんですね。

しかし、もしもその“わたし”(主観)ではない他人様の眼(客観)から観ることができるのであるならば、どうでしょうか?・・苦=「自分(わたし)の思うようにならないこと」にはならないわけですね。なぜなら、そこには“わたし”は居ないわけですから・・。

そして観るのはあくまでも他人様ですからね。他人なら自分(わたし)が苦であっても、逆にそれが「おもしろく」観えたり、興味深いモノとして観たり、あるいは何も無かったように観ることもあるでしょ、ということですよ・・屁理屈のように聞こえますが・・。

まぁ、これも訓練ですから・・他人事のように観るとはいっても、慣れないうちは半分苦笑いで観るところから始まるのでしょうけれども・・。

そういったわけで、「客観的スイッチ」を一個作っておいたほうが、便利なのでイイですよというわけなんです。

・・『苦というのは、“わたし”の思うようにはならないということ』。『無我というのは、“わたし”は無いということ』。これは“ヘビ”が仏陀に教えた世の中の道理(正見)であり、無限の時空を超えて在る法則であり、これが真実ですからね。

真実は認めざるを得ませんからね。とにかく、これをご自分で実感して、検証するのがいちばん納得いくことなんですね。ですから、無の瞑想をしたり、無我を観察する訓練をしたりするわけなんです。

そこで、苦とか無我を実感してはじめて『これが“苦”というモノなんだ・・』あるいは『“わたし”はいなかった・・』と理解できるわけなんですね。この真理がわかれば、段々とこういった正見(正しい哲学)が身に付いてくるんです。

ですから、日常の中で自分の思うようにならない事が起こった時に、『所詮は他人事ですから・・』といったアンバイで観るならば、そこでエゴを出して怒りをぶちまけたり、落ち込んで悲観して悩んだりすることもないでしょうというわけです。

ここで一句

スイッチを 押して観るなら 無の世界